※サイズにつきましては実寸値ですので、多少の誤差はご了承ください。
※お客様のパソコン環境により、実際の色と若干異なる場合が御座います。ご了承下さい。
サイズ: W12*H11*D2
カラー: 桃色革+杏色G柄布
素材: 防水二つGの模様のジャガード布&革
ベルトはボタン式になっていて開けると二つ折が開く仕様となっています。
仕切り付きのお札入れ。分けて入れる事ができてとても便利です。
ボタンを開けると大きく開く小銭入れがあります。出し入れしやすく便利。
グッチオは1953年に死去。グッチオ亡き後は、息子アルドが経営の中心となり、65年ビットモカシン、68年レディスウェア発売。70年代には香水も発売された。しかし、80年代に入ってから、親族間でグッチの運営を巡って血みどろの骨肉の争いがおきる。グッチのブランドとしての勢いも低迷。倒産すら噂されるほどに経営が悪化した。グッチは当時、グッチオの4人の息子、アルド、バスコ、ウーゴ、ロドルフォによって運営されていたが、アルドの息子パウロは、父親に反抗。パウロはとくにアメリカ市場において、グッチは高級品だけではなく、いわゆる平場にも置けるような低額商品にも進出するべきと考え、独断で「PGコレクション」、続いて「パウロ・グッチ」を展開(これらの商品は現在、グッチは正規商品とは認めておらずメンテナンスなどは受けられません)。これが一族の大反対を受け、パウロはファミリーから追放される。パウロは反撃に転じ、1982年、米国CBSテレビのドキュメント番組「60ミニッツ」で「取締役会において暴力による制裁を受けた」と発言し、父親を脱税の罪で告訴、アルドは逮捕された。当時、一族の中で後継者と目されていたのは一番仕事熱心だったロドルフォの息子、マウリッツィオだった。パウロは父親の影響力を排除するため、自らの持ち株をマウリッツィオに提供。逆にアルドら他のファミリーはマウリッツィオに反抗する形で株をアラブ系投資グループのインベストコープ社に売却した。マウリッツィオは3代目の後継者となり、沈みかけた船を任されることとなった。
